2023年7月中旬、ブイラボミュージカル「鏡よ鏡よ鏡さん」の稽古場にお伺いしました。到着し扉を開け挨拶をしながら一歩入ると、気さくな関西弁と共にブイラボミュージカル主宰の滝井サトルさんが出迎えて下さいました。
稽古開始15分までにはほとんどの子供達は集まっており、子供達はウォーミングアップも兼ねて?稽古場を駆け回っていました。
そして稽古はスタート。滝井さんから「久し振りだからこの日はM1から復習していく」旨を伝えられると、子供達は声を挙げて盛り上がります。ミュージカルナンバーも順番に歌い歌唱指導もありましたが、この日最も時間を割いたのが、滝井さんの演技指導。
『気持ちも内面もオッケー。でも外に出てくる音(声)が70点なんだよ。過去(KAKO)の「K」をちゃんと言わなあかん。今は「あこ」に聞こえる。中【心】と外【声】をイコールにするのがお芝居。』といった言葉があったり、「だったらいっそう」と言う言葉を例文を交えながら、どういった時に使う言葉なのかを伝えたり、言葉を大切に考えさせる指導がまず印象に残りました。
また、アカリのところに5人が駆け寄るシーンでは、縦に一直前に並んでしまい、下手側のお客さんにとって壁になってしまっていて、『みんな一直線になっているの分かる?ここ(下手)のお客さんにはみんなの背中しか見えへんねん。自分の気持ち良いところまで行っちゃうとお客さんが気落ち悪いのよ。お客さんに見せるショーだから。』とステージングについてもアドバイス。
「過去をバネにして今の状況を乗り越えるの!」とみんなに言うアカリの台詞では、『乗り越えられそうな感じで言ってごらん。そうするとみんなが「どうやって?」と喰いつくわけだ。(例えば)餌を与えて餌を与えて、「結局分かんねえじゃん」の台詞で(撒いた餌が)「まずっ」となって「うわぁ・・・」となっていく(様に)。』という説明を行った後、さらにかみ砕いて『「はい、お菓子あげるよ~」ともらって箱開けたら「空っぽかい!」とかそういった感じ。』といった具合に子供達への分かりやすい言葉での指導が続いていきました。
稽古中、子供達が感じた事を次々と質問していて、風通しの良い稽古場だという印象を持ちました。例えば、金太郎役の栗林茉莉花さんがシンデレラに対し「後悔先に立たず」と言うシーン。『一回煽るじゃないですか?後悔先に立たずって。それなのに急に助けに行くのはおかしいんじゃにないかなって・・・』という質問が栗林さんから飛ぶと『良い意見じゃないですか。』と褒めた後に、『バカにするんじゃなくて、ちょっとだけからかってみれば良いじゃないですか?「バカにする」と「からかう」ではどっちが愛がありますか?「からかう」の方がまだ優しく無い?』と微妙なニュアンスの違いを伝える流れに持って行ったりと、ちょっとした呟きに対しても『どうしたどうした?どこがやりにくかった?』と汲み取っていく滝井さんの姿勢には、子供達への敬意が伝わってきました。
初のキッズミュージカルとは思えないほどスムーズに進行している稽古。そこには、かつて大手子役養成所の演技指導講師や、自ら校舎に足を運び小学校学習発表会の指導を行うなど、教育的な立場にも多数立っている経験が大いに活かされている事が感じられます。そんな滝井さんが描く今回の作品はどういったものなのか?お忙しいなか貴重な時間を割いて頂き、今回の公演についてお聞きしました。
◼️キッズミュージカルは長年の「夢」「目標」
ーこれまでジュニアキャストの出演も度々あったとはいえ、ブイラボミュージカルと言えば大人キャストを中心とした作品を上演するカンパニー。なぜこのタイミングで初のキッズミュージカルを上演する事になったのでしょうか?
ブイラボミュージカルを立ち上げてもう7年(※2015年9月設立)くらいになるのかな?キッズミュージカルをやりたいというのが長年の夢であり目標でした。ただ自分にノウハウも無く、敷居が高い感じがしているなかでコロナ禍になった事もあり、なんかこうふんぎりが付かなかったんですけれども、去年の夏くらいから「来年くらいには劇場の規制も減って行くんじゃないか。」という情報を耳にしまして、「これは演劇の神様からのプレゼントじゃないか!」と思い、夏休みに何かお子様達に最高の経験をしてもらいたいと強く思いまして、劇場を取りました。
ー「夢」「目標」という言葉に、長年の熱い想いがひしひしと伝わってきます。それでは今作のストーリーについて教えて下さい。
1日に(最低でも)1・2回は鏡を見ると思うんですけれども、鏡のなかの自分に対して、容姿もさることながら、自分というものがどう映っているのか?という事を、ご観劇頂いた方が「今の自分って、自分で自分を認められる自分なのかな?」と考えてもらえる作品をお子様達と共に作りたいと思いまして、なんとなく「鏡よ鏡よ鏡さん。世界で一番美しいのはだあれ?」という言葉が(まず浮かびました)。キッズミュージカルと考えた時に、桃太郎や金太郎などが(頭の中に)降りてきまして、シンデレラや白雪姫なども加えて、自分を好きになれない人達が、自分を好きになっていくまでの物語を紡げないかと思い(書き上げました)。当然ミュージカルや演劇にありがちなセオリーとして、主人公はある葛藤やドラマを抱えています。
ーまずコンセプトや原案が出来るまでを伝えてくれた滝井さん。続いて本題のストーリーについても切り込んで下さいました。
単純にどこにでも居る少女・・でもこの言い方にはミソがあって、「みんな違っていていい」という言葉があるように、どこにでも居る少女なんだけれども、沢山ドラマがある主人公のアカリ。
彼女は幼稚園の頃から絵本が大好きで、おばあちゃんに読んでもらう絵本を耳元で聞きながら眠りに落ちていくようなおばあちゃんっ子だったアカリですが、歳を重ねるにつれて、絵本の世界が絵空事だと感じ、段々と絵本から離れていく訳です。絵本に時間を割く事も減っていくなかで、おばあちゃんは孫の成長を嬉しく思いながらも、孫との時間が少なくなっていくことに一抹の寂しさを感じながら、孫はダンスのお稽古に向かうという場面から始まります。
学校で好きな事を発表出来る学習発表会があり、歴史や昆虫の成長、宇宙の秘密などを発表する子が居るなかで、アカリと親友のヒビキはダンスを踊る事を選び稽古に勤しんでいるんですが、(ある日)おばあちゃんが絵本を読みたかったにも関わらず、ダンスの稽古を選んでしまったアカリ。奇しくもその日におばあちゃんは突然の死を迎えます。おばあちゃんが亡くなったその日から、「自分があの日そばに居れば救急車を呼べたかもしれないし、そばに居る事によって死を回避出来たかもしれない。」という、負い目・責任が彼女を支配してしまい、人前で笑えなくなってしまいます。笑顔がトレードマークのはずなのに、笑えなくなってしまうというのが、「どこにでもいる女の子」なんだけれども、「その子にしかないドラマ」なんです。
アカリはその日からダンスを踊ろうとしてもトラウマで踊れなくなります。遺品整理のなかでお母さんに「絵本どうするの?」と聞かれ、アカリが絵本を開けると、絵本が壊れているんですよね。桃太郎が鬼に勝てなかったり、金太郎が相撲でクマに負けたり、浦島太郎がおじいさんになりたくないから玉手箱を捨てたり、白雪姫が毒リンゴと食べて気を失うのが嫌だから食べなかったりとか、シンデレラが12時の鐘の時に階段を降りるのが面倒臭くてエレベーターを使いガラスの靴が割れちゃったりとか、よく分からない物語になっているんです。アカリが何故だと思った時に、アカリは自分のせいで物語が壊れたんじゃないかと考え、なんとか元に戻したいと色々と画策していくというのが物語の流れとなります。
■毎日は単なる繰り返しじゃない。
私が演劇を作る時に大事にしている事は、誰もが人生の主役であり、誰もが誰かの脇役でもあって、そういった相関関係のなかで我々は社会生活を行っていると思うんです。
「なぜ学校に行かなければならないんだろう?」「なぜこの家に生まれて繰り返し過ごさなければいけなんだろう?「なぜこの仕事に就いたんだろう?」と(日々の)繰り返しに辟易する人達に、「実は繰り返してはいないんだよ、受け取る側によってイメージが変わってくるんだよ」と。
おばあちゃんと読んだ桃太郎。友達と読んだ桃太郎。大きくなって、子供の為に読んだ桃太郎。(それぞれ)全然違う桃太郎だから、絵本の中の君達は毎回同じ事をやるだけでいいんだ。それが受け手には違う風に見えるし、毎日の繰り返しは似ている様だけど、実は日々アップデートされて、繰り返す事っていうのは悪い事ではないかもよという部分を落としどころにしています。
ーここから先についても熱く語って頂きましたが、続きは劇場での本番をぜひご覧下さい。子供達と共に作り上げるブイラボミュージカル「鏡よ鏡よ鏡さん」。今から楽しみです。
※情報は記事作成時のものです。必ず公式サイトにて最新情報をご確認下さい。
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